今週のお題「雨」
天気が悪かったので、70人以上が殺されました。
王の花嫁が、嵐に遭いました
1589年の冬。 デンマークの王女アンが、コペンハーゲンを出港しました。行き先はスコットランド。スコットランド王ジェームズ6世と結婚するためです。
激しい嵐に遭い、船は沈みかけました。
艦隊はノルウェーに避難します。花嫁はスコットランドに辿りつけませんでした。
ジェームズ6世は、花嫁を自分で迎えに行きました。コペンハーゲンまで船で渡り、そこで結婚し、二人で帰路につきます。
帰りも、激しい嵐でした。
数週間ノルウェーに留まってから、ようやく帰路につくことができました。
この嵐を、デンマークは魔女のせいにしました。
デンマークの当局が、沿岸の町クロンボーの女6人を名指しして、こう言いました「この6人は魔女である。王家の船を妨害するために、呪術で天候を変えた」と。
6人は拷問を受け、自白しました。
1590年7月、コペンハーゲン魔女裁判が始まります。 デンマークで最初の大規模な魔女裁判でした。
アンナ・コルディングスという女が拷問され、さらに5人の女の名を挙げました。
同年9月、クロンボーで女2人が魔女として焼かれました。
そしてスコットランド側が動き出したとき、デンマークはすでに17人を処刑していました。
スコットランド側の発端は、トラネントという町の家でした。
デイヴィッド・シートンという男の召使に、ギリス・ダンカンという女がいました。
彼女は急に、人の病を治せるようになりました。 そして毎晩、こっそり家を抜け出していました。
主人が問い詰めます。彼女は自身が家を抜け出す理由をこたえませんでした。
シートンは、彼女を拷問しはじめました。
拷問の後、耐えかねた彼女は、名前を挙げはじめました。
1590年から91年の起訴状には、彼女の供述が残っています。地元の魔女の一団が、廃れた教会に集まっていた。そこで、「コペンハーゲンから来た者」と会った。
デンマークの話が、ここでスコットランドの供述に入り込みました。
挙げられた名前のなかに、アグネス・サンプソンがいました。
巷ではよく知られた助産師でした。
彼女は魔女の疑いを否認しました。
ということで拷問が行われます。
頭と体の毛が、すべて剃られました。 「魔女の印」を探すためです。
そして独房の壁に固定されました。 使われたのは scold's bridle(叱り女のくつわ)と呼ばれる鉄の器具です。
4本の鋭い突起を口に押し込む構造です。2本が舌に、2本が頬に当たります。
この状態で壁に留められました。
睡眠は与えられませんでした。
頭に縄を巻いて振り回されました。
耐えきれなくなった彼女は自白しました。
自白した起訴事項は、53件にのぼります。
当時のパンフレット『Newes from Scotland』(1591年)によれば、彼女はこう述べました。200人の魔女とともにサバトに参加した。 そのなかにギリス・ダンカンもいた、と。
ハロウィーンの夜、ノースバーウィックの教会で、悪魔に会った。
アグネス・サンプソンは、ジェームズ6世と貴族たちの前に引き出されました。
そして国王自身が、尋問に加わりました。
ここで、伝えられている話があります。
彼女は、王の初夜の出来事を口にした。 ジェームズは、他の誰も知り得ないことだと信じた、と。
※この件は、いくつかの解説が「伝えられている」として書いているものです。裁判記録で確認したわけではありません。
1591年1月28日。 正式な裁判で有罪となった、その翌日でした。
彼女は絞殺され、遺体は焼かれました。
火刑はエディンバラ城の丘(Castlehill)で行われました。
そのあと
ジョン・フィアンという学校教師も告発されました。
彼の指の爪は、強引に引き抜かれました。 そしてその下に鉄の針が刺されました。
pilliwinks で指を締められ、boot にかけられました。 boot は脚を潰す器具です。
彼も、火刑柱で焼かれました。
そして彼の証言が、話を政治に変えます。
フィアンは、超自然的な陰謀の一味として、国王の従兄弟であるフランシス・ステュアート、第5代ボスウェル伯の名を出しました。
ボスウェル伯は反逆罪で裁かれましたが、結果無罪になりました。
この一連で処刑されたのは、70人を超えます。
1597年、ジェームズ6世は本を書きました。 題名は『Daemonologie』── 悪魔学。魔術と降霊術についての論考です。
王が書いた魔女の本は、その後の魔女狩りの土台になりました。
そして、もう一つ残っています。
シェイクスピアの『マクベス』に出てくる魔女たちは、この事件とジェームズの本から強い影響を受けています。
あの3人の魔女は、ここから来ました。
こういった話を不定期に書いています。 もしよろしければ、読者になって一緒に楽しみましょう。
まとめ
- 1589年冬、デンマーク王女アンがスコットランド王ジェームズ6世と結婚するため出港したが、激しい嵐で船が沈みかけ、ノルウェーに避難した。 ジェームズは自ら迎えに行き、帰路も嵐で数週間ノルウェーに留まった
- 魔女のせいにしたのはデンマークが先。 当局は沿岸の町クロンボーの女6人を、王家の船を妨害するため呪術で天候を起こしたとして名指しし、拷問のもとで自白させた
- 1590年7月、コペンハーゲン魔女裁判(デンマーク初の大規模魔女裁判)。アンナ・コルディングスが拷問され、さらに5人を名指し。 同年9月、クロンボーで2人が焼かれた
- スコットランド側が動き出した時点で、デンマークはすでに17人を処刑していた
- スコットランドの発端は、トラネントのデイヴィッド・シートンの召使ギリス・ダンカン。急に病を治せるようになり、毎晩抜け出していた。主人は彼女を拷問した
- pilliwinks(指を締める器具)には耐えたが、「searching」(魔女の印を探す身体検査)で自白した。 そして名前を挙げはじめた
- 起訴状には、廃れた教会に魔女が集まり「コペンハーゲンから来た者」と会ったという供述が残る
- 挙げられた名前のなかに、助産師アグネス・サンプソンがいた
- 彼女は頭と体の毛を剃られ、scold's bridle(4本の鋭い突起を口に押し込む鉄の器具、2本が舌に2本が頬に当たる)で独房の壁に固定され、睡眠を与えられず、頭に縄を巻いて振り回された
- 彼女は53件の起訴事項を自白。 『Newes from Scotland』(1591)によれば、200人の魔女とサバトに参加し、ハロウィーンの夜にノースバーウィック教会で悪魔に会ったと述べた
- 国王ジェームズ6世が自分で尋問に加わった。 彼女が王の初夜を口にしたという話が伝えられているが、裁判記録では確認していない
- 1591年1月28日、有罪判決の翌日、エディンバラ城の丘(Castlehill)で絞殺され、遺体を焼かれた
- 学校教師ジョン・フィアンは、爪を引き抜かれて鉄の針を刺され、pilliwinks と boot(脚を潰す器具)にかけられ、火刑柱で焼かれた
- フィアンの証言が、国王の従兄弟フランシス・ステュアート第5代ボスウェル伯を陰謀に結びつけ、裁判に政治が入った。 ボスウェル伯は反逆罪で裁かれたが無罪
- この一連で処刑されたのは70人を超える
- 1597年、ジェームズ6世は『Daemonologie』(悪魔学)を著した。 その後の魔女狩りの土台になった
- シェイクスピアの『マクベス』の魔女は、この事件と王の著書から強い影響を受けている
名前を言うまで痛みを与える。言った名前をまた捕まえて、同じことをする。
1人が5人の名を挙げれば、5人が25人の名を挙げます。
70人になったのは、そういう仕組みがあったからです。
そのきっかけは、船が嵐に遭ったことでした。
出典
- North Berwick witch trials(Wikipedia) 航海と嵐、ギリス・ダンカンの逮捕と拷問(pilliwinks、searching)、アグネス・サンプソンの53件の起訴事項とサバトの供述、ジョン・フィアンの拷問と火刑、ボスウェル伯への波及、処刑者70人超、1597年の『Daemonologie』、『マクベス』への影響
- Copenhagen witch trials/Ane Koldings(Wikipedia) 1590年7月のコペンハーゲン魔女裁判、アンナ・コルディングスが5人を名指ししたこと、9月のクロンボーでの2人の処刑
- Agnes Sampson(Wikipedia)/Executed Today「1591: Agnes Sampson, North Berwick witch」 拷問の内容(毛の剃り落とし、scold's bridle の構造、睡眠の剥奪、頭に縄)、国王の尋問への参加、1591年1月28日にエディンバラ城の丘で絞殺・焼却されたこと、王の初夜を口にしたという話
- The History Jar「Anne of Denmark and the witches of Copenhagen」ほか デンマーク当局がクロンボーの女6人を名指しした経緯、スコットランド側の尋問時点でデンマークが17人を処刑していたこと
※当時のパンフレット『Newes from Scotland』(1591)そのもの、およびエディンバラ大学の Survey of Scottish Witchcraft にある裁判記録には当たれていません。上記はいずれも二次資料です。
※ジョン・フィアンの処刑日は資料が割れています。 Wikipedia は「12月16日」(年の記載なし)、複数の解説は「1591年1月27日」としています。本文では日付を書いていません。
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